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ヨーロッパ写真日和VOL.178『世界遺産、ル・コルビジェが設計したサヴォア邸を訪ねて』

こんにちは、吉田タイスケです。

蝶ネクタイに丸い黒眼鏡がトレードマーク、建築家ル・コルビジェの銅像が広場に置かれているのはパリ郊外、ポワシー。1928年、サヴォア夫妻に依頼を受け、この街にコルビジェが設計した住宅は「20世紀住宅の最高作品のひとつ」と言われ、世界遺産にも指定されています。パリから電車で約30分。近場にありながら、今まで訪れたことはありませんでした。

コルビジェの理想が体現された建築がどれほどのものなのか、早速体験しにいきましょう。

地味な入り口を通り、公園のような敷地を歩いていくと、林の奥に白い建物が。

宙に浮いているようにも見える直方体。SFっぽくもあります。コルビジェが提唱した「近代建築の5原則」を確認しておくと、「1:ピロティ(フランス語で「杭」の意。1階を解放して、車や人が自由に行き来できる空間にする)」、「2:屋上テラス(斜めの屋根をやめて、プライベートで解放的な空間に)」「3:自由な平面(柱から解放されて、間取りを自由に作ろう)」「4:連続した横長の窓(光をたくさん取り入れて解放的に)」「5:自由なファサード(コンクリート建築の利点を生かして、自由な外観にしよう)」という5つです。

今この5原則を聞くと「フーン」という感想しか出てきませんが(←オイ!)、つまりは伝統や制限からの解放、新しく自由な生き方を手に入れようというメッセージが建築に込められていると思えば、「フーン」が「なるほど」に変わります←何様。
今現在も、ピロティのある家なんてパリにありませんし(たぶん)、横長の連続窓がある建物もほとんどありません。コルビジェが提唱した建築は現実に浸透していないかも知れませんが、その「理念」は20世紀建築、大きく言えば人々の「暮らし方=生き方」に大きな影響を与えることになりました。

さて、中に入って1階のピロティから居住空間の2階へ。まるでテラスの一部のような、広いリビングルーム。

テラスから屋上へと続くスロープ。

リビング、寝室、屋上とつながるテラス。卓球台?ではなくて、外で食事もできるよう、テーブルが備え付けられています。

部屋の電気のスイッチと、ドアの取っ手は同じモチーフでした。

オレンジ、青と部屋や廊下にアクセントになる色が、音楽のように使われています。

子供部屋。ここと客室は、婦人たっての希望で床が板の間になったそうです。
自分は日本人で、ずっと木の家の中で室内では靴を脱いで生活をしてきました。部屋によっては床に座っていたので、コンクリートの床、壁には今ひとつ馴染まないものがあり、なんだか婦人に共感(笑)。

机が二つ並び、勉強空間だったコーナー。窓が大きく、窮屈な感じはありません。

当たり前ですが、1階より2階からの方が見晴らしが良く、宙に浮いて生活している感があります。例えていうなら、ちょっと車高の高い車でドライブしているような、、。

婦人の居室。直接テラスへ出られる動線となっています。

バスルーム。天窓が気持ちのいい空間です。寝室とさえぎる壁がなく、湿気の心配などしてしまう日本人なワタクシです(日本と比べたら、ほんとに湿度がありませんので大丈夫)。

屋上へ上がるスロープ途中から眺めるテラス。建築の狙いでもありますが、この家には始まりもなければ終わりもない、全てが続いているひとつの空間という印象があります。

屋上庭園。建設当初はここからセーヌ川を眺められたそうです。借景ですね。

屋上部分は地上から見えないプライベートな空間になっているそうです。「当時はヌーディズムが浸透していたので」と解説している記事もありましたが、、エー!

地下から3階へと続く螺旋階段。設計は80年前。まるで現代の美術館のようです。「住み方は生き方」、そんな風に思えるコルビジェ建築でした。

コルビジェ建築があるポワシーはこんな街。美しく佇むのは12世紀に建設され、当時のフランス王ルイ9世が洗礼を受けたノートルダム教会。

セーヌ川沿いの風景は、印象派の絵に多く描かれています。

第二次世界大戦時はドイツ軍に4年間も占領され、空爆などの被害で街の多くが破壊されましたが、今はのどかな川べりの風景。

戦争の爆撃で破壊され、今は途中までしかない橋も夕焼けのテラスに。

ただ、川面は色づくばかりなり、、と。コルビジェ建築を堪能できるパリ郊外、ポワシーからお届けしました。

次回はパリコレスナップの予定です。どうぞお楽しみに。

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