今日は、マディソンです。
前回アナ・スイ展示で訪れたMAD (ミュージアム・オヴ・アート&デザイン)にまた来ています。実は前回アナ・スイ展示から階下に降りる際、とても気になる展示があったんですが、時間が無くて通り過ぎました。あれ以来、何処か心に引っかかっていたので、今回時間をとって訪ね てみたんです。
まず目に入ってきたのが、バラの花びらとタイトルされたナプキン。とても可愛らしく、思わず顔がほころびます。展示の隣には親切にその作り方も紹介されています。
ナプキンの隣にベラという署名入りの食器がありました。では彼女はテーブルセッティングのアーティストなのでしょうか。
実はベラ・ニューマンは生地をデザインするテキスタイル・デザイナーで、1978年にはニューヨーク・ポストが“Veraって誰?”というタイトルの記事を載せるほど、ベラと署名された彼女の、レインボーカラーの作品が人気を博し、食器、ナプキン、洋服、スカーフと巷に溢れたんだそうです。テーブルセッティングだけでも、テーブルクロスにプレイスマット、それにナプキンと統一したデザインの作品をいくつも発表しています。
当時全盛だったスタイルと聞きましたが、今見ても現代的で、ちっとも古臭く見えないのが不思議です。
扇の形のナプキン。レインボーカラーですね。
ベラは1907年マンハッタン郊外のコネチカット州スタンフォード市に、4人兄弟の3番目として生まれたそうです。ロシアからの移民でユダヤ教徒の両親は、兄弟の芸術への情熱を全力で支持し、結果ベラは子供のころから、自然を描くことに情熱を燃やしていたとあります。
ベラのデザインした記事で作られた服。真ん中のデザインなど、鯉のぼりを連想しませんか?果たしてそうだった可能性があります。まだ世界旅行が珍しかったこの時代に、彼女は精力的にアジア、ヨーロッパ、アフリカの国々訪れて、各地のユニークなデザインに強いインスピレーションを受けて、自分の作品の中に貪欲に取り込んでいったといいます。
驚くのは彼女が1957年、既にスポーツウエアまでもデザインしていたということです。1960年には当時デザイナーとしてのキャリアをスタートさせたばかりの、ペリー・エリスとのコラボ作品も発表しています。
上のイラストは、日本、アフリカ、ヨーロッパの影響が色濃くみられますが、下の方は日本画といっても不思議ではありませんね。日本からはシンプルでクリアーな伝統を取り入れたようです。
1962年に夫を亡くしたベラは、ジョンとエヴェリンという二人の子供を育てながら、起業家として会社を発展させ、アーティストとしてインスピレーションを受け続けるべく世界中を旅していたそうです。当時の彼女の広報担当者いわく“ベラはどの瞬間にも、妻、母、それとも起業家なのかアーティストなのか、あるいは世界旅行者という役割を、そのどれなのか決めかねているようで、一方でそのどれにもなろうとしていました。”
展示会場の奥に向かうほど、じっと場所から動かない人たちが増えていきます。まるで陽だまりに憩っているかのように。彼女の作品には、暖かなエネルギ―があふれているからでしょうか。
20世紀を生きたファッションデザイナーの中でも、最も成功した一人に数え上げられる彼女ですが、今では当たり前に多くのデザイナーたちが提唱している、ライフスタイル・ブランドの先駆者でもありました。60年代、70年代、そして80年代までも、彼女のライフスタイル・ブランドが全米の家庭で温かい光をはなっていました。
1993年に85歳で亡くなる直前まで、自身のブランドのクリエイティヴ・ディレクターとしての役割を果たして、凄まじいスケジュールの人生を送った彼女なのに、美術館の外のマンハッタンの喧騒をわすれさせてしまうくらい、その描く世界はまろやかでとても温かいんです。
ようやくコンクリートジャングルに戻ると心を決めて、ベラの展示から階段を下りていくと、そこにはアナ・スイ的世界への扉のイラストが。彼女の展示もまだ続いているようです。
コンクリートで険しいマンハッタンの喧騒に戻ってきました。前方に見えるのがペンシルタワー。エンパイアステイトを抜いてマンハッタンナンバー1の高さになった建物もそうでしたが、あれ以来この街では、この細長いペンシルタワーがあちこちにみられるようになりました。
シャープなシルエットで、高く高く空にのぼっていきます。建物の中には人の営みがあるんでしょうが、そんな気配を微塵も感じさせない冷たいガラスのような様相で。
さて、ベラ的世界、如何でしたか。ではまた、ニューヨークでお会いしましょうね。