GUCCI(グッチ)といえば、今や知らない人はいないほどの人気ラグジュアリーブランド。しかし、今の名声に至るまでは決して順風満帆というわけではありませんでした。その歴史は、「ハウス・オブ・グッチ」という題名で映画化されるほどに壮絶なもの。そこで今回は、グッチ一族の歴史について紹介します。
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GUCCI(グッチ)は、1921年にグッチオ・グッチによって創設されたブランドです。イタリアのフィレンツェで生まれたグッチオは、17歳の若さでロンドンに渡ったのちにサヴォイ・ホテルのエレベーターボーイとして就職します。
ロンドンにあるホテルでも高級な部類に入るサヴォイ・ホテルでは、マリリン・モンローや当時の首相チャーチル、画家のクロード・モネなど多くの有名人が訪れていました。グッチオは、サヴォイ・ホテルで働く中で有名人たちの洗練された手荷物やファッションに触れることで、ラグジュアリーという感覚を養ったといわれています。
その後、第一次世界大戦が終わるとグッチオはレザーグッズ店で革製品の知識を学びます。そして1921年、フィレンツェで自身の名を冠した高級レザーグッズを扱う店を構えました。
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グッチオの店で主に行っていたのは、ドイツやイギリスなどから輸入した革製品の販売と修理でした。グッチオは、今まで培ってきた目利きの力を発揮し、高品質な商品を適正価格で販売することでお店はたちまち評判に。創業から2年で2店舗目をオープンさせるほどの人気を集めました。
また、輸入品だけでなくオリジナルのカバンや靴、ベルトなどを扱うようになると、徐々にグッチというブランドを確立していきます。1933年には、今でもおなじみのダブルGのロゴが登場。これは、品質保証としてデザイナーであるグッチオのイニシャルを商品に刻印したものでした。このことから、世界で初めてデザイナーの名前を刻印したアイテムを販売したとされ、グッチが「ブランドの元祖」といわれる理由でもあります。
その後、順調に人気を集めるグッチの経営に三男のアルド・グッチや五男のルドルフォ・グッチが加わります。積極的な海外展開や徹底したブランディングを行うアルドと、映画俳優を諦めブランドを手伝うことになったルドルフォは、互いに衝突しながらもそれぞれのアプローチでグッチを成長させていきました。
ローマ、ニューヨーク、パリなど海外進出を果たす一方で、オードリー・ヘップバーンなどスターに顧客になってもらい、グッチの名前は世界的なものに。徐々に黄金期を迎えつつあるグッチでしたが、そのさなかの1953年にブランド創業者のグッチオは生涯の幕を下ろしました。
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グッチオ死後、アルドとルドルフォは株を50%ずつ持ちますが、実質的にアルドが実権を握ることでグッチの業績を伸ばしていきます。60年代~80年代のアルドが作り上げたグッチのアイテムは、モカシン、フローラスカーフなど名作が多いことでも知られ、香水や時計を扱い始めたのもこの頃。また、1972年には日本への進出を果たしていて、アジア市場の開拓にも大きな一歩を踏み出しています。
着実に世界的なラグジュアリーブランドとして成長するグッチでしたが、五男のルドルフォが亡くなると一人息子のマウリツィオが株を引き継ぐことに。一方のアルドは、三人の息子ジョルジョ・グッチ、パオロ・グッチ、ロベルト・グッチに3.3%ずつ株を譲り、ブランド経営へ参加させます。これが、一族による覇権争いの始まりでした。
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アルドの次男パオロは、アルドに内緒で自身の名を冠したセカンドラインの販売を計画。しかし、この計画を知ったアルドは高級路線のイメージに傷がついてしまうことを懸念し、パオロを追放します。
そのころマウリツィオは、絶世の美貌を持つパトリツィアと結婚していました。グッチの社長夫人の野望を抱いていたパトリツィアは、追放されたパオロの持つ3.3%の株に目をつけます。マウリツィオとパオロに手を組ませて過半数の株式を手中に収めると、社長のアルドを解任するクーデターを起こしました。
一度は社長についたマウリツィオでしたが、アルドはマウリツィオを相手に裁判を起こすと、マウリツィオは社長から追放されます。しかし、そのアルドもパオロに脱税の容疑で告発されるなど一族の争いは泥沼に……。
1988年にはマウリツィオが会長へと復帰しますが、それに伴ってジョルジョ、ロベルト、パオロが株を売却。1993年にはマウリツィオまでも株を売却し、グッチ一族はブランドの経営から離れることになりました。
グッチから撤退したマウリツィオでしたが、その2年後に何者かに射殺されてしまいます。事件当初は犯人不明のまま迷宮入りかと思われましたが、数年後逮捕されたのがマウリツィオの結婚相手であるパトリツィアでした。逮捕されてしばらくは容疑を否認していましたが、後にマフィアとの間に起きた暗殺の報酬を巡るトラブルが発覚し、容疑は決定的なものとなります。
その動機としては、マウリツィオに対して抱いていた怒りや、パトリツィア自身の豪華な暮らしに対する執着など、憶測を含めさまざまな情報が報道されています。
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一族の闘争や暗殺など数々のスキャンダルで一時は名声を失ったグッチでしたが、復活の立役者となったのが現在でもファッション業界で活躍する「トム・フォード」です。クラシックなグッチからファッショナブル路線へと舵をきったフォードが発表するアイテムは、どれも飛ぶように売れるほどの人気を博しました。フォードが作り上げるグッチスタイルの確立はグッチ復活に大きく貢献したといえるでしょう。
また、現在グッチのデザイナーを務めているのがアレッサンドロ・ミケーレ。ミケーレは、グッチの持っていた「スタイリッシュな大人のラグジュアリーブランド」というイメージを大きく転換。ストリートカルチャーを取り入れたデザインなど、まったく新しいグッチの形を作り上げています。
映画にもなったグッチの歴史は、衝撃的な展開が多くまさに波乱万丈。しかし、数々の出来事や低迷した時期を乗り越えて、今のような地位を築いていることにグッチの底力や力強さを感じますね!