こんにちは、吉田タイスケです。歴史と伝統が息づきながら、常に生まれ変わる街パリに新しい名所ができました。
Diorの歴史、成り立ちからその魔力までを堪能できる、『ラ・ギャルリー・ディオール』です。
La Galerie Dior
場所はファッションの聖地、ムッシュー・ディオールが今から75年前に最初のコレクションを発表したモンテーニュ通りのディオール本店隣。早速訪ねてみましょう。
今やどこの美術館も展示会場も予約制。ふらりと訪ねると1時間以上待つことにもなりかねませんので、ご予約は忘れずに。
エレベータで3階に移動します。最初の展示室は、創始者クリスチャン・ディオールの生涯について。
フランス北西部、海に面した街グランヴィルに生まれ育ったクリスチャン。5人兄弟の2人目で、子供の頃から花が大好きでした。左の写真は両親の肖像。家族の身なりや住んでいた家から、暮らしが裕福だったことが伺えます。
当時ディオール一家は、肥料の生産事業などを生業としていました。右下は「DIORINOL」という洗剤の広告です。現在では『DIOR』という四文字にはモードのイメージしかないので、肥料だったり洗剤に「DIOR」とあるのが不思議ですね。「簡単でお安く、楽に洗える!」というコピーが、もしかしたら現代まで続くという歴史もあったのかも知れません。
しかし、そうはなりません。写真は幼少の頃から花に情熱を持っていたディオール少年が好み、影響を受けた花の種子のカタログ。花々の艶やかさ、曲線美は、後のディオールのクリエイションに反映されることになります。花や庭園は、ディオールにとって生涯クリエイションの源泉でした。
展示室の壁に沿って資料が配置され、中央部には後にディオールが手掛けたドレスが並びます。
こちらにも花のモチーフ。
1951年のブティックのカタログ。まだディオールが、フランスにしか存在しなかった頃。
1947年2月12日、ブティックのあるモンテーニュ通り30番地のサロンで、最初のオートクチュールコレクションが発表されました。
細く絞ったウエストにフレアスカートが特徴の「ニュールック」は、今見ても色褪せません。
1951年、創刊27号のELLEに掲載されたメゾン・ディオールの記事。見開きには大きく「ドレスはリンゴの花のように咲かなくてはならない」とあります。子供の頃に描いていた花のスケッチは、やがてドレスに変わっていったんですね。
さて、最初の展示室でクリスチャン・ディオールの生涯を駆け足で辿ったあとは「魔法の庭園」と名付けられた、歴代のアーティスティック・ディレクターたちの作品が並ぶ部屋を歩きます。
「私のドレスは、女性の身体の美しさを称えるために作られた、はかない建築物だと思っています」(クリスチャン・ディオール)
中央は現在のディレクター、マリア・グラツィア・キウリが手がけたドレス。
「魔法の庭園」という展示室のタイトル通り、どこか御伽の国のような、物語の中を歩いているような気分になれる空間です。
「魔法の庭園」を抜けると、グランヴィルの生家の写真を背景にドレスが並びます。こちらもまるで、庭に咲く花を暗示しているようです。
続いて「ディオールの歩み」と題された展示室。手前のマリア・グラツィア・キウリから、奥のムッシュー・ディオールまで。歴代のデザイナーの作品が並びます。
ラフ・シモンズが手がけたカシミアのコート(2012)。
その横に広告写真が並んでいるのが印象的でした。
いくつか展示室を通って、こちらは白い仮縫い服に囲まれる「夢のアトリエ」。エレガントなディオール固有のシルエット。類型に差異を見出す、現代アートの手法のように見えてきます。
実際の職人さんたちが行うデモンストレーションも見られます。
ジョン・ガリアーノ、クルーズコレクション2011。展示されているオートクチュールのドレスは、それぞれが宝石のようです。
そして最後にはモデルならぬマネキンたちが一堂に会し、華やかなフィナーレ。まるでオートクチュールのショーのようです。
展示階を繋ぐ螺旋階段、ショーケースには今までのデザイナーが創りあげてきた様々なクリエイションが、ミニチュアとして収められている。
螺旋はディオールのエスプリを繋ぐ遺伝子、というのは考えすぎでしょうか。
「真のエレガンスはいたるところに存在する。とりわけ見えないものの中に」(クリスチャン・ディオール)
グランヴィルの庭園から現在まで。メゾン・ディオールのクリエーションの魅力を余すところなく伝えるギャルリー。きっと展示を見終わるころには、エレガンスの種がひとつかふたつ、ポケットに入っているはずです。パリにいらした際はぜひおすすめします。次回の更新もどうぞお楽しみに。