マディソンです。
写真は、レクイエムを演奏するYOSHIKIさん。この美しさ…溜息が出ますね。
彼、10月7,8,9日の東京ガーデンシアターを皮切りに、13日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホール、20日にロサンゼルスのドルビー・シアター、そしていよいよ今回のオーケストラを従えてのクラシカル・ツアーをこの日、カーネギー・ホールで終えました。
ロサンゼルスのドルビー・シアターといえば、アカデミー賞授賞式の舞台です。ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールは150年以上の伝統ある場所ですし、カーネギー・ホールは今更いうまでもない音楽の殿堂、そんな3ヶ所で演奏した音楽家は、彼が日本人で初めてだそうです。
開演前の、まだ人が入り切れていない会場のVIP席で、YOSHIKIさんと親交のある青木恵子さんにお会いしました。
ご主人のロッキーさん亡き後、ロンドンの紅花を10年以上もマネージメントされてきた恵子さんはロンドン事情にも詳しく、YOSHIKIさんのロイヤル・アルバート・ホールでの成功は、現地の友人たちから多々聞かされたらしいです。
恵子さんは先の9月7日にタイムズスクエアで行われた、彼のドキュメンタリー映画“YOSHIKI:UNDER THE SKY”のイベントにも参加されたそうで、以前お会いした時より、彼のこれまでの人生についてすっかり詳しくなられていました(笑)
そうそう、YOSHIKIさんがロンドン、ロサンゼルス、ニューヨークの3つの殿堂で演奏されたのも日本人で初なら、先ごろハリウッドのチャイニーズシアター前に、手形足型を記されたのも日本人として初の快挙でしたね。
カーネギー・ホールは、マンハッタン57丁目の7番街にあるので、恵子さんのお宅からだと歩いて15分程度でしょうか。ハイヒールでもない限り、歩ける距離にあるんです。
カーネギー・ホールは、鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーによって1891年に建てられたそうです。世界的ピアニストのルービンシュタインの面白い逸話があって、57丁目に面している入り口を見つけられなかった彼がニューヨーカーに、“どうしたらカーネギー・ホールにたどり着けるんでしょう?”と聞いたところ、“一に練習、二に練習、とにかく練習を重ねるんだよ。”とカーネギーの舞台に上がるにはどうしたらいいのかと、質問内容を勘違いしたニューヨーカーの話があります。
今回のコンサート、チケットはソールドアウト。しかも、これ見てください。開演直前には4階席まで満杯になりました。
YOSHIKIさん、昨年亡くなったお母さまとのエピソードを話すとき、度々声をつまらせていました。実は彼、カーネギー・ホールは今回2度目なんですが、最初の公演の時や、ヒット曲でテレビに出演するときなど、時折電話を入れるYOSHIKIさんに、お母さまはいつも“朝ごはんは食べたの”や“昨日の晩はしっかり眠れたの”と聞いてこられて、YOSHIKIさんが音楽でどんなに成功をおさめても、お母さまにとっては息子でしかないことが有難く、そんなお母さんを亡くしたとき、涙が止まらなかったと話されていました。
そんなお母さまですが、平成11年に、天皇陛下御即位10年をお祝いする会で“Anniversary”を弾かれたときには、心からほめてくださったそうです。
お母さまを亡くされて涙が止まらなかったときに医師を訪ねて、“先生、涙が止まりません。何とかしてください”と言ったところ、“それは病気ではないのだから、自分にはどうにもできないんだ”と言われたそうです。ただ涙を流しながらも曲を作ることが癒しとなり、徐々に感情が落ち着いてきたそうです。そうしてできた“Requiem(レクイエム)”、本当に美しい曲でした。
8時開演のコンサートは2部構成でした。
演目にはYOSHIKIさんが作曲した曲もありましたが、観客が大いに沸いたのは、何といってもXジャパンのヒット曲でした。途中曲に乗せて踊ったフィラデルフィア・バレエ団のパフォーマンスも魅力的、観客を飽きさせない構成が見事で、ずっと観客を魅了し続ける工夫が細部まで施されていたように思います。
カーネギー・ホールは基本、写真撮影NGなんですが、そこはお茶目なYOSHIKIさん、観客にスマホをペンライトのように使ってほしいと舞台上から要求してくれて、アーティストの許しが出たのだからと観客は大喜び、私もそうですが、これを機にと皆たくさん撮影していました。
途中、Xジャパンを思い出させる激しいドラム・パフォーマンスもあり、最後には会場全体に雪のようなライトが舞う中、YOSHIKIさんの世界クラシカル・ツアーはENDLESS RAINで締めくくられました。
演奏後、深々とお辞儀をするYOSHIKIさん。そして、オーケストラの指揮者、シンガーたちと並んで拍手喝さいを浴びるYOSHIKIさん。
観客席に向かって“皆さんのおかげで、今回のツアーを無事終えることができました。XジャパンのXの意味は無限の可能性、不可能はないという意味なんです”といった後、We Areと彼が叫ぶと、観客がXと答えて、これがなんと6回も続き、会場は大盛り上がりでした。
思うんですが、このXというネーミングや手を前にクロスさせるジェスチャーを見ていると、YOSHIKIさんがXジャパンを立ち上げたころにはまだスマホもなく、ですからインスタ映えという文化も全くなかったんですね。ところが彼の天性の才能なんでしょうか。ブランディングにジェスチャーを加えていたというところが、本当に時代を先取りしています。凄いですね。
二次会の会場では、YOSHIKIさんがプロデュースしたシャンパンが、VIPたちにふるまわれました。この金色のシャンパン、何と1本250ドル(37,750円、1ドル151円)!
日本のシャンパン相場がわからないんですが、この価格はこちらでは、酒屋さんで買うドンペリ並みです。レストランだと大体酒屋さんの3倍以上の値段になるそうなんですが、YOSHIKIさんのシャンパンも、そうなるとレストランでは750ドルから1,000ドル近いんでしょう、きっと。
二次会会場は、全部で40名ほどだったでしょうか。高価なシャンパンよりも、生のYOSHIKIさんと写真を撮りたがって、人だかりが大変でした。
それでも彼、とても辛抱強く、皆さんとご挨拶されていて、さすがエンターテイナーだと感心しましたね。
さて、如何でしたか。
今回はマンハッタンの名所、カーネギー・ホールで、日本人スターがここニューヨークでも活躍しているのを間近に見れて、本当に嬉しくなりました。
ではまた、ニューヨークでお会いしましょうね。