AXES公式YouTubeチャンネル『AXES channel』にご出演いただく度、その自然体でチャーミングな姿に魅了される、カフェキツネの看板マダム 石井庸子さん。視聴者さんの中には、「石井さんっていったいどんな方なのだろう?」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
今回はインタビューをもとに、石井さんの経歴やパリでの暮らしなどをご紹介いたします。「こんな風に年を重ねたい!」と憧れる、石井さんの素敵な生き方やモットーとは……。
■石井庸子(いしいようこ)さんプロフィール
通称ナミさん。旧姓がナミカタさんだったため、みんなからそう呼ばれているんだとか。パレ・ロワイヤルのメゾンキツネ カフェキツネで勤務。「グレーヘアと笑顔がチャームポイントのオシャレなマダム」と地元で評判の看板マダム。一人娘が「メゾン キツネ」の創始者ジルダ・ロアエック(Gildas Loaec)と結婚。
▼メゾン キツネとは
Gildas Loaec(ジルダ・ロアエック)と黒木理也(クロキ・マサヤ)がパリにてKITSUNÉ(キツネ)をスタート。パリと東京を拠点とし、ファッションブランドの「Maison Kitsuné(メゾンキツネ)」、音楽レーベルの「Kitsuné Musique(キツネミュージック)」、コーヒーショップの「Café Kitsuné(カフェキツネ)」を通じ、インスピレーションあふれるユニークな「アール・ド・ヴィーヴル(フランス語で「暮らしの芸術」)」を発信。
─カフェキツネで働くようになったきっかけは?
家でじっとしているのがダメなタイプで。それならキツネで、と働き始めたのが4年前くらいです。週3,4回、午後から5時間と、他のスタッフさんより少ない時間で勤務しています。スタッフは皆19歳から20代ですから、そこに私がいるのは見た人からすると不思議でしょうね。
─お仕事されていて楽しいですか?
そうですね。やはり歳をとって家にこもっているより、人といつも会う、見られるということは自分も気を付けなければいけないじゃない。そういう意味で、人と接する仕事は自分にも良かったと思っています。普段の何気ない会話や少しの変化が精神衛生上良いのではないですかね。
─日本ではどのような活動をされていたのですか?
水野正夫・和子という夫婦が制作していたオートクチュールで、専属のショーモデルをしていました。人台代わりになってそのまま針を刺して制作するので、全部私サイズ。自分の洋服として欲しくなって、お給料が洋服代でほとんどなくなってしまったぐらいでした。いろいろな洋服が着られてよかったなと思っています。
─パリに渡られたきっかけは?
水野夫妻のおうちがパリにあって、水野先生が「パリに旅行で行ってサンジェルマンのカフェに1時間座っていてごらん、スカーフの結び方ひとつ違うから。」とおっしゃったんです。そうして1969年に旅行でパリに訪れたのですが、先生の言ったことは本当でした。そのときはまだ住むとは思っていなくて、「パリはお金を持って買い物に来たいところ」でした。それが今となっては、1973年の10月に住み始めてから今年で50年!
─住むことになったきっかけは?
親が決めた結婚相手が日本にいたのですが、どうしても嫌で。そのときたまたまパリで日本人向けのバーをやっていた友人から「人手がいないから来て」と電話があったんです。パリに行ってしまえば騒ぎから抜けられると思い、もちろん親から反対されましたが、片道切符でパリに渡りました。それから友人が、パリでの暮らしが心配いらないことを親に手紙で知らせてくれて。もう住んでしまいました。だから自分がこんなに長くパリにいるとは思っていなかったの。
─石井さんの苦労や困難の乗り越え方は?
マイペース。嫌なことはなるべくスルーをしてしまうかもしれない。無理して人に合わせるより、心地よい人と一緒にいるのが一番いいです。ポジティブに生きるためには、考えない、自然体でいること。
そのほか、インタビューでは住み始めた当時のパリでの暮らしや、石井さんの健康の秘訣になっている食べ物、ファッションについて、これから挑戦したいことなどたくさんお話しいただきました。年齢に左右されず日々を大切にされている石井さんのインタビュー、ぜひご覧ください。
▼インタビュー動画はこちらから!
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