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『ルーヴル美術館の起源!?犬猫と訪ねられるフランス・ロワール地方の古城へ』ヨーロッパ写真日和VOL.301

こんにちは、吉田タイスケです。今回は久しぶりにパリを離れてフランスはロワール地方から、古城のご紹介です。悠々と流れるロワール川の水面に映るはシンデレラ城、、ならぬ、歴代フランス王家に愛されたアンボワーズ城。16世紀、フランソワ1世の治世にかのレオナルド・ダ・ヴィンチはこの地に招かれ、アンボワーズ城からほど近いクロ・リュセ邸でその晩年を過ごしました。

さて、なぜ今アンボワーズ城なのかですが、ダ・ヴィンチゆかりの地もさることながら、実はロワール地方の古城のいくつか、アンボワーズやシュノンソーなどは「犬猫同伴OK」なんです(!)。我が家は猫2犬1と暮らしていて基本的にペットホテルなどには預けずに旅行をするので、庭園のみならず「城内」まで犬猫と入場可能なフランスの古城は貴重な旅の目的地となります。

というわけでこちら、なぜかウサギの着ぐるみを着せられているトラ猫です。自分たちが滞在したアパートはアンボワーズ城を借景として窓から眺められる中洲に位置し、お城まで歩いていける立地も申し分なく、こちらに来られる際はぜひおすすめしたい宿泊先です。


La Porte Blue
https://www.laportebleueamboise.fr/

アパートの中庭。

さて、あいにくの曇りですが麗しきお城の見学へ参りましょう。

アンボワーズの街並み。2月のシーズンオフは閉まっている店も多く、普段は観光客でごった返す旧市街も静かです。

緩やかな坂を上がってお城へ向います。歩いていると、街にはここで暮らす人以外ほとんど誰もいない冬だからこそ、その場所本来の姿や積み重なってきた時間と向き合える余地があるように思えました(いやほんとに)。旅はシーズンオフに限りますね。

さっそく城内へ。最初に足を踏み入れるのは衛兵の間と呼ばれる場所です。現在は入場時にタブレットが渡されて、今自分がいる場所にそのタブレットをかざすと自動的にAR(拡張現実)が起動して、その部屋の説明が見られるようになっています。例えば、ここにタブレットをかざすと、、

このように。当時はこんな風に使われていたのかもと想像できて楽しい仕掛けですが、現在の空間の寂しさも強調されることに。

反対側のシンとした暖炉も、、

タブレットをかざせば、衛兵たちが働いている時代にタイムスリップ。バーチャル世界の方が生き生きしています。衛兵たちよ、がんばって働きたまえ(?)。

衛兵の巡回路。美しい回廊です。

高台に位置するお城のテラス。衛兵たちはロワール川の航行の様子をここから監視していました。

壁に16世紀のタペストリーがかけられた「鼓手の間」。石造りの城は冬の間さぞ寒かったでしょうから、タペストリーは「防寒」という意味でも役立っていました。鑑賞と防寒、しかも丸めれば持ち運びも簡単、ひとつで二度も三度も美味しい(?)というわけで、当時は絵画以上に貴重な工芸品として取引されていたそうです。王族というと、ひとつのお城にずっと暮らしているイメージですがさにあらず、例えばフランス・ルネサンスを代表するフランソワ1世はその在位11778日のうち8000日は戦争や狩で旅をしていました。10日中7日はいない計算です(!)。忙しいこと、この上ないですね。当時その移動は従者も家具も引き連れてのものであり、当然このタペストリーも各地を一緒に旅をしていたと思われます。

床にはフランス王家を象徴する百合の模様が。

続いてゴシック様式の天井アーチが美しい「接見の間」。この場所で壮麗な接見や祝宴が行われたそうです。先ほどのタブレットをかざしてみると、、

急ににぎやかになりました。貴族たちが挨拶を交わす横を、祝宴の準備のために銀食器を運ぶ侍従たちが通ります。ブルターニュ公国の使者が王に恭しく接見し、壁際では新しく運ばれてきた「悪魔を制す大天使ミカエル」の絵画を各地の貴族が品評しています。そしてこの中にひとり、裏切り者が、、、←ただいま妄想中。

暖炉にはサラマンダー(と思われる)の図柄が。ダ・ヴィンチを招いた国王フランソワ一世のエンブレムがサラマンダーでした。水、風、地、火の四大元素のひとつを司る伝説の精霊で、火の中でも生きると考えられていたそうです。そこから転じてフランソワ一世は「Je nourris (le bon feu) et j’éteins le mauvais.(私は良い火を育み、悪しき火を消し去る)」というモットーを残しています。つまりファイアーヒーロー的な?←急にハリウッド。

こちらは給仕係の間。フランソワ1世は、その治世の間にイタリアに何度も攻め入っています。当時、最先端のものは全てイタリアにありました。建築様式も美術も音楽も食文化も、全てイタリア発信です。フランソワ1世よりも前の時代の話になりますが、アンボワーズ城建築の装飾にもイタリア・ルネサンスが取り入れられ、庭園もイタリア風レイアウトが採用されています(幾何学的なフランス式庭園の始まり)。イタリア・ルネサンス全盛の時代、フランソワ1世がたとえ無理筋でもミラノやナポリ公国を目指したのは、領土拡大のみならずイタリアの文化に対する強い憧れがあったからとしか思えません。そして、その文化・芸術に対する憧れと理解がダ・ヴィンチをフランスへ招くことにつながり、かの天才はよく知られているように『モナ・リザ』『聖アンナと聖母子』『洗礼者聖ヨハネ』の3作品を携えて王の招聘に応えます。

「その3作品を始めとする、王家のプライベートコレクションを収蔵するために改修されたのが、その後のルーヴル美術館というわけだな」

こちらを見ているのは、一緒にアンボワーズ城を回った黒犬です。ペットキャリーバッグに入っていれば、城内も歩けます。

イタリア芸術に憧れダ・ヴィンチをフランスへ招いたフランソワ1世と、その長男で次の王となるアンリ2世の二人の国王によって、100年ほど放置されていたルーヴル宮殿は16世紀に大きく改修され、絵画コレクション収蔵の場となります。美術館の体をとるのはそこからさらに200年以上、フランス革命を経てナポレオンの登場を待つことになりますが、全てはここで幼少期を過ごし、アンボワーズ城の栄光の頂点と言われる時代を過ごしたフランソワ1世の情熱が始まりになっているんです。つまり、今年日本で催されるルーヴル展の起源もここにあると、、(強引)。フランス革命でほとんど破壊され、現在では当時の2割ほどしか現存していないとされるアンボワーズ城。同じロワール渓谷のシャンボール城などに比較すると見た目は地味ですが(←オイ)、この城を舞台にしたフランス王たちの歴史物語に想いを馳せると、感慨深いものがあります。次回はこの場所から徒歩10分、晩年をフランスで過ごしたルネサンス期の万能人、レオナルド・ダ・ヴィンチが暮らしたクロ・リュセをご紹介する予定です。どうぞお楽しみに。

『ルーヴル美術館の起源!?犬猫と訪ねられるフランス・ロワール地方の古城へ』ヨーロッパ写真日和VOL.301Takashi -タカシ-

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