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『マンハッタンのウクライナ・タウン』ニューヨーク・ニューヨークVOL.132

マディソンです。

今日は午前中のミーティングがノーホー地区であったので、少し東に足を延ばしてウクライナタウンにやってきました。人気の老舗レストラン、ヴェセルカでランチをしようと思います。

実は今、ヴェセルカではウクライナ料理では定番のボルシチの収益を100%、ウクライナへの支援に寄付しているんです。

実はニューヨーク州に住むウクライナ系の人々はアメリカ最大で15万人もいて、そのほとんどがニューヨーク市に住んでいるそうです。ウクライナ系ビジネスが集中しているのがイーストビレッジにある、ここリトル・ウクライナとブルックリンのリトル・オデッサだと言われています。

リトル・ウクライナは2番街の9丁目から6丁目の辺り。ウクライナ博物館や教会、それにレストランがたくさん並んでいるんです。



ありました、ウクライナ・レストラン。ここではフレンチ・レストランも黄色と青のウクライナ国旗をかかげていますね。

リトル・ウクライナだけではなく、ニューヨークのあちこちで今、この黄色と青をみかけます。例えばブルックリン美術館前には2018年からデボラ・カスの黄色いパブリックアート“OY/YO”が飾られていたんですが、3月3日から半分を青い布で覆っています。カスの祖父母は実はベラルーシとウクライナからの移民なんだそうです。青い布で覆う作業にはカス本人が参加して、反戦と平和を願ったと聞いています。

ロシアが侵攻してまもなく、エンパイヤ・ステイトも、それからグランドセントラル駅前の高架橋も同じように、青と黄にライトアップされていました。



リトル・ウクライナの肉屋さんも、ウクライナ支援の看板を出しています。

今、マンハッタンの街中でウクライナ支援がつのられていて、その一丸となっている感じがニューヨーク的だと思います。2月24日にロシア侵攻が始まってすぐの土曜日、26日にはもうタイムズスクエアに人々が集まって抗議集会が行われていました。ダウンタウンに降りてくるタクシーのテレビで放映されていたのは、ウクライナの小児癌の子供たちを、マンハッタンの病院が呼び寄せて治療しているというニュースでした。担当医の言っていた“自分たちは、ウクライナの医療では救えない命を救うことができる。戦争で失われる命には及ばないけれど、それでも医師として自分たちにできることがある”という言葉に胸が熱くなりました。

マンハッタンにはウクライナ系だけでなくロシア系の人たちも多く住んでいますが、反戦集会にはロシア人も多数参加しています。彼らが口を揃えて言っていたのが“ロシアとウクライナは兄弟のようなもの。戦争をしているのはプーチンで、ロシア国民は戦争を決して望んではいない”という言葉です。

リトル・ウクライナの入り口に、レストランが並んでいます。左のヴェセルカは朝8時から夜の11時まで長時間開いているレストランなんですが、侵攻以来ずっと長蛇の列で賑わっていました。今日はランチ前ということもあるのかもしれませんが、少し落ち着いてきたようです。

中のテーブルは埋まってきていますが、これからランチタイムに向けて一杯になっていくことでしょう。あちこちで英語ではない、ロシア語のような言葉が聞こえてきます。ウクライナ語かもしれません。どちらもわからないので確かめようがありませんが…。

ロシア侵攻が始まった直後は、マンハッタンでもロシア・レストランのボイコット運動が起こりました。でもすぐにロシア・レストランも#StandWithUkraineを掲げて寄付を募りだし、その後ロシアの人々が多数メディアに登場し、彼らもウクライナ側で反プーチンだと報道されるようになってきているので、今はウクライナ・レストランを訪れるロシアの人々も決して少なくありません。

聞いていると、みんなボルシチは注文するようです。100%ウクライナ支援に送られるボルシチと、後何品か。みんなが同じ料理を食べているさまは、大きな一つの家族のような連帯感を感じますね。



レストランの壁には“プーチンよ、手を引け”“ウクライナとともに”“ウクライナを助けよう”と言ったスローガンが貼られています。

ウクライナ料理の定番のボルシチの売り上げは100%ウクライナに寄付されると、はっきりメニューの表にうたってあります。

でました、ボルシチ。メニューによると、今風というのかベジタリアンのもありますね。

ボルシチというとソ連料理と一般的には知られているんですが、ウクライナの代表料理でもあるんです。ロシアとウクライナは3世紀半に渡って一つの国でしたし、隣国なので共通な料理がたくさんあるそうです。民族的に同じというだけでなく、料理という重要な文化も共有している国が戦争で戦わなくてはならない矛盾を強く感じてしまいますね。

ボルシチはビーツの赤色で、牛肉の入った栄養たっぷりのスープといった印象ですが、ウクライナやロシア南部では新鮮な野菜が手に入ったものの、北方の人たちは厳しい冬に備えて発酵させた野菜を入れていたと聞いています。夏にはビーツを主に野菜だけのベジタリアンのスープが好まれて、ボルシチの一種ではあるもののホロドニクと呼ばれていたりもしたそうです。

さて、ロシアとウクライナのボルシチはでは全く同じもの、それとも違いがあるんでしょうか。ロシアの場合牛骨で出汁を取りますが、ウクライナでは豚のスペアリブやチキンで出汁をとるのが定番だととレストランの人が言っていました。日本のお味噌汁も、考えてみれば地方によって出汁の取り方や味噌の種類が違ったりしますが、それと同じようなんですね。

ピエロギは、これは餃子のような、つまりダンプリングと呼ばれるもの。ひき肉が入っているもの、それともポテト、あるいはマッシュルーム、チーズなど種類は多々あります。味を引き立たせるために、ソテーしてから茹でた玉ねぎ、サワークリーム、アップルソースが添えられていて、ヴェセルカは夜11時まで開いているので、夜遅くこのピエロギ目当てにやってくる人たちが多いと聞いています。

とはいえピエロギは4ヶで8ドル(1,008円、1ドル126円)、ボルシチはカップで6ドル(756円)なので、幾らボルシチの収益が100%ウクライナに行くといっても6ドルでは少なすぎる気がしました。そこでウクライナ支援用のグッズも購入したところ、キャップ25ドル(3,150円)にビールグラスが15ドル(1,890円)で、少し支援らしくなった気がします。

ビールグラスは分厚くしっかりしていて、食洗器でも大丈夫なもの。レストランのバーで使われているものと同じ形状で、それに店名を入れているようですね。キャップの方は、ボルシチには欠かせないビーツがアクセントになっています。

ドアの表記によると、第2次世界大戦の後にオープンしたヴェセルカは、今年68周年を迎えるそうです。広く知られていることですが、アメリカは移民の国でサラダボウルのようにいろんな民族が一緒に住んでいます。ニューヨークのような、多民族が共同で生きている街に長く暮らしていれば当たり前に認識できることが、ロシアでは通じないのかもしれません。

さて、如何でしたか。

フェイスブックが資本として大きなのれんの価値ある社名を捨てメタに改名して、世界がヴァーチャルでより繋がってきている時代に、現実の領土争いの為に戦車で侵攻することの愚かさを、どうして独裁者たちは理解できないのでしょうか。80年代に人気を博したミュージシャン、スティングのロシア人というタイトルの曲を聞いたんですが、確か当時はレーガン政権時代だったのに、その曲の歌詞が今の現状にとても似ていて恐ろしくなりました。ずっとこんなことを世界は繰り返してきていて、今後も続けていくのかと。

コロナで世界中が失った平常を取り戻しつつある今だからこそ、何としても平常を崩さない、世界に平常を取り戻すという覚悟を、皆がしなくてはならないと思いました。

ではまた、ニューヨークでお会いしましょうね。

『マンハッタンのウクライナ・タウン』ニューヨーク・ニューヨークVOL.132Takashi -タカシ-

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