写真:Thierry Mugler-Alan Strutt by Brooklyn Museum
マディソンです。
ブルックリン美術館、コロナ明けごろから本当に野心的な試みが続いていますが、今回は2022年1月に73歳で亡くなってしまった、鬼才チェリー・ミュグレアの展示が行われています。
彼はファッション・デザイナーではありましたが、劇場や映画などのコスチューム・デザインも手掛けていました。どうです、この迫力。鳥なのか魚なのか…いずれにしても、コスチュームが全く何の違和感もなく着られているところが凄いと思いませんか。
写真:DIG_E_2022_Thierry_Mugler_03_PS20 by Brooklyn Museum
写真:DIG_E_2022_Thierry_Mugler_06_PS20 by Brooklyn Museum
チェリーはまずファッション・デザイナーとして超一流でした。ここに紹介されてはいないんですが、1993年に大ヒットした映画“インディーセント・プロポーザル”で、デミ―・ムーアが着た黒のドレスは彼がデザインしたものでした。90年代を代表する世紀のドレスと今でも言われています。映画の題名を日本語に訳すと、“下劣な申し込み”あるいは“下品な申し込み”とでもいうんでしょうか。ロバート・レッドフォード演じる富豪が、デミ―・ムーアとウッド・ハリスン演じる夫妻に、妻との一晩に1ミリオンダラーを支払うと申し込んだことが、夫妻の結婚生活を破綻させてしまうというストーリーでした。
チェリーのドレスを着たデミ―が、怪しいくらい美しかったと記憶しています。コスチュームも手掛けるくらいなので、どちらかというと彼のドレスは奇抜だったり、センセーショナルだったりするんですが、そんな彼のスタイルと映画のストーリーが本当にマッチしていました。
写真:DIG_E_2022_Thierry_Mugler_05_PS20 by Brooklyn Museum
彼自身は、写真家としてもすぐれた才能を発揮していました。特に、モデルたちを変わった場所に置いて撮影することを好んでいたと聞いています。
フランスに産まれた彼は、9歳の時クラッシック・バレエのレッスンをはじめて、14歳でバレエ団に所属、その傍ら10代後半でインテリア・デザインの学校にも通っていたそうです。
写真:FIG.633_Fritz Kok Insectes Mugler 2 by Brooklyn Museum
写真:DIG_E_2022_Thierry_Mugler_02_PS21 by Brooklyn Museum
ミュージック・ビデオのディレクターとしても才能を発揮した彼は、ジョージ・マイクルの“トゥー・ファンキー”を撮りました。
あまりにもセクシーなこのミュージック・ビデオは、1992年発表当時メディアが大騒ぎしましたが、今見ても危険なくらいアツイと感じます。リンダ・エバンジェリカやタイラ・バンクスら一流モデルがファッション・ショーのランウェイを歩いてくるんですが、その動きが恐ろしく官能的で、一方シンガーのジョージ・マイクルはというとカメラマンという設定なので、彼のミュージック・ビデオだというのに、ほんの少ししか映っていないんですよ。
チェリーはジョージ・マイクルだけではなく、マドンナ、マイクル・ジャクソン、ダイアナ・ロス、デービッド・ボウイ、グレース・ジョーンズといった、錚々たるスターたちに、彼ら彼女らの代表作となるスタイルを提供し続けました。
写真:FIG.041_NEW_Comet Lady-Indüstria Blitz adjusted 2 by Brooklyn Museum
写真:FIG.691_20FINAL by Brooklyn Museum
写真:FIG.966_CLASSEUR_01_OPERA_005 by Brooklyn Museum
ディレクターとして、広告キャンペーンでも活躍したチェリー。自身が才能ある写真家でもある彼のキャンペーン写真は、どれも迫力に満ちています。ただ、こうしてみると共通しているのが、女性たちの猛々しさでしょうか。儚い、弱々しい女性など、何処にも見当たりません。彼の意識の中で、女性とは強く、攻撃的な存在だったんでしょうか。
一番下の写真など、これはマンハッタンにあるクライスラービルの61階の外で撮った写真だそうです。まだコンピューター・グラフィックが使われていない時代の写真なので、極端な場所の写真を撮る為には、本当にその場所で撮る必要があるというわけです。やっぱり生の迫力って凄いですね…。
写真:FIG.387B_E03FINAL by Brooklyn Museum
写真:DIG_E_2022_Thierry_Mugler_11_PS21 by Brooklyn Museum
“トゥー・ファンキー”のビデオの中でもドラッグ・クィーン的なドレスは多々着られていましたが、これなどまさにその流れか、それともロックンロールかのどちらかですね。もっとも当時は今と違ってドラッグ・クィーン、ファッション業界で主流ではなかったと思います。
チェリーは1976年に“カフェ・ド・パリ”という名前で、自身の最初のプライベート・コレクションを発表しましたが、これを手伝ったのが、当時フアッション業界で力のあったファッション編集者のメルカ・トレントンでした。今でいうとヴォーグ編集長のアナ・ウィンターのような存在だったんでしょう。その彼女のディレクションで、当時資生堂がスポンサーとなって、東京でファッション・ショーも行っているそうです。翌年1977年には、パンクの影響というタイトルのコレクションを発表、とんとん拍子にその翌年の1978年にパリにブテイックをオープンしていました。
1980年代の日本のバブルの頃のスタイルというと、肩パッドが入ったボディコンシャスと言われるスタイルでしたが、1977年頃既にチェリーはじめ数人のファッション・デザイナーたちは、1940年代のスタイルを回帰させ、肩幅を広くしたデザインを発表し始めていたようです。
写真:FIG.654_12921_18 by Brooklyn Museum
写真:FIG.1028_MAX_ABADIAN_Thierry_Mugler_10913 by Brooklyn Museum
1980年代から1990年代になると、チェリーは既に世界的ファッション・デザイナーとしての地位を確立していました。ミュージック・スターたちのコスチュームや、ビデオ、広告キャンペーンで大活躍していたのはその頃です。ですので、この頃の彼のコレクション・ショーは、他のファッション・デザイナーと完全に一線を画していて、まるで一流ミュージシャンのように、音楽アリーナを会場に行われていたそうです。
その様子はファッション・ショーというよりはコンサートやミュージカルのようで、ある時はSFやアフリカがテーマになり、またある時はバンパイア、そして扉の写真のような水中生物がテーマになりました。
コスチューム・デザインは劇場の照明が当たると生き生きとしていても、写真の照明では作り物っぽく見えるものが多い気がします。そんな中彼がデザインしたコスチュームはどんな光の中でも、その迫力が見るものに迫ってきます。コスチュームだけではありません、彼がデザインしたドレスたちはどれも、迫力に満ちていて、それが着る女性にも強さや猛々しさを生み出させるのではないでしょうか。
写真:FIG.1029_MAX_ABADIAN_Thierry Mugler_11090_FIN by Brooklyn Museum
その後チェリーは香水も発表しましたが、2002年にはファッション業界を去ってしまいます。理由を聞かれたインタビューで彼、“ファッションは美しく、人の上に表現できる3Dアート。でも、それだけでは僕には十分じゃなくて…。だから他の表現方法を模索しているんだ。香水にはまだ多少とも興味はあるけれどね。”と答えています。
そんな他の表現方法の一つだったんでしょうか。この年、シルクドソレイユとコラボを果たしています。2008年には自身のコスメ・ラインを発表、2009年にはビヨンセのワールド・ツアー“アイアム…ワールドツアー”の衣装を手掛けてコスチュームにも若干戻りました。
さて、如何でしたか。
チェリーのキャリアは意表を突くアート作品の発表の連続のようで、去年亡くなるまでの73年間を疾風のように駆け抜けていったような気がします。それにしても一人の人間の中に、これだけの表現力が内包されているなんて、ちょっと信じがたい気がしますね。本当に不思議な存在だったと思います。
ではまた、ニューヨークでお会いしましょうね。