毎日暑いですね。ニューヨークから、マディソンです。
ニューヨーク、夏は観光客で一杯です。というのもアメリカの場合、学校は9月が年度初めなんですが、6月の第2週くらいにはもう終わってしまい、長い長い夏休みに入るんです。ですから6~8月の3ヶ月の間はまとまった休みを取る人たちが多く、職場はいつも誰か欠けているような状態でプロジェクトはなかなか進みません。
ニューヨークの場合、お金持ちは夏のこの時期イーストハンプトンの別荘に逃げ出してしまうので、街は観光客で一杯です。
観光客たちが早朝から写真にポーズをとっています。
写真中央に見えるメットライフ・ビルが、まだパンナム・ビルと呼ばれていたころ、会計士の妹が大手銀行のクライアントを訪ねてよくこのビルに来ていました。9月11日のワールドトレードセンターへのテロ攻撃があったときも、このビルの上階からビルが崩壊していく様子が遠くにみえたと言います。妹の事務所自体はワールドトレードのすぐそばだったので、クライアント先に出向していてよかったと胸をなでおろしました。ここを通るたびに、必ず思い出してしまいます。
さて、今回滞在したのは、ミッドタウンのレキシントン街と47丁目の角にあるロジャー・スミスというホテル。建物自体が古いため、最近のブテイック・ホテルと違って中の間取りがとても広いところが良かったです。ニューヨークは観光都市ということで、最近新しいホテルが次々建ってきていますが、効率をよくするためかシャワーだけでバスタブのないホテルがほとんでなんです。もちろんロジャー・スミスはこの点もクリアー、バスタブちゃんとついていましたよ。
ホテル横にルーフトップ・バーの旗が立っていますね。日本流にいうとビアガーデンのような、こうした屋上バーもニューヨークでは近年はやって増えてきています。バーといえば、隠れ家バーも流行りで、レストランの電話ブースから電話を入れて予約するシステムになっていたり、一軒狭いカフェなのに、夕方5時以降、横の壁を押すと隠れバーに繋がっているなどなど、遊び心一杯の隠れ家バーが次々現れてきています。
ホテルから最初のミーティングに向かう途中、不思議なアートショップの前を通りました。エデンという現代アートのギャラリーで、1998年にオープンして以来、このマディソン街の画廊だけでなく、ソーホー地区、サンフランシスコ、ロンドンやテルアビブなどにも次々オープンしているそうです。中はとってもポップで勢いあるアートにあふれています。
ミーティングの場所はここ、パレスホテル。現在の名前は正式にはロッテ・ニューヨーク・パレス・ホテルなんですが、地元の人々の間ではヘルムスレー・パレス・ホテルで通っています。というのも、2015年に韓国企業のロッテが約800億円で買収するまではヘルムスレー・パレス・ホテルだったからです。
オーナーだったレオナ・ヘルムスレーが1989年脱税容疑で起訴され、3年の実刑を言い渡されてしまったために売却されてしまったようです。“意地悪の女王”というあだ名のレオナに、いかにも横車を押しそうな強欲オーナーというイメージが強かったため人々は興味津々で、この裁判の報道は連日マスコミを賑わせていました。報道で従業員に対するいじめのひどさを目の当たりにするにつれ、実刑判決に快哉した人たちは多かったと思います。
お客さまに同行して、ピア16に来ています。この近くのサウスストリート・シーポートも、観光客ならはずせないスポットです。
ウォール街の高層ビルが間近にせまってくるようですね。サウスストリート・シーポートはウォール街からすぐ近くで、お土産物屋さんやレストランが立ち並んでいるんです。
左手にブルックリンブリッジも見えますね。この橋は、ニューヨークが舞台の映画には数々登場しているので記憶にある方もあるかもしれません。歩いて渡れるんですが、この橋を渡った向こう側がブルックリンで、最近話題のダンボと呼ばれている地区になります。
アメリカで一番古い橋の一つだと聞いていますが、夜景は特にきれいで、橋のたもとの人気レストラン“ザ・リバー・カフェ”からのウォール街高層ビルの夜景は、ため息が思わずでてしまうほど本当にきれいです。
フェリーがスタートしてしばらくすると、遠くに自由の女神らしき像がみえてきました。
宗教弾圧から逃れてきた人、新天地で一旗揚げようとやってきた人、ヨーロッパからアメリカへと流れてきた人たちの誰もが一ヶ月以上もの航海の末に、ようやくこの女神像を目にしたとき、一体どんな思いがその胸をよぎったことでしょうか。
あっ、近づいてきました。
しっかり見えました。みな、思わず写真に撮っていますね。女神像の台座にはエマ・ラザラスの力強い詩が刻まれていて、読むたびに心が震えます。
疲れ果て、貧しさにあえぎ、自由の息吹を求める群衆を私に与えたまえ
人生の高波にもまれ、拒まれ続ける哀れな人々を
戻る祖国なく、動乱に弄ばれた人々を、私のもとに送りたまえ
私は希望の灯を掲げて照らそう、自由の国はここなのだと
(青山沙羅訳)
女神像の後ろにみえているのがガバナーズ・アイランドいって、現在は夏から秋の1ヶ月間だけ一般公開されていますが、イギリス植民地時代にはニューヨーク総督(ガバナー)が独占的に使用できる島だったため、ガバナーズという名前がついたそうです。
独立戦争のときには、アメリカ側の主要基地ともなり、1966年までアメリカ援軍警備隊の主要施設だったとも聞いています。
如何でしたか。ニューヨークの夏は観光客でにぎわっているので、観光客になったつもりで、ご紹介してみました。
ではまた、次回もニューヨークでお会いしましょうね。