今日は、マディソンです。今回は、アメリカの若者に熱狂的に指示されているカルト・ブラント、パタゴニアをソーホーに訪ねてきました。
パタゴニアという名前は本来、南米南緯40度付近の、コロラド川の南の地域をさした言葉で、地名だそうです。海峡にその名前がついた冒険家のマゼランが、この地域に住んでいた先住民をパタゴンと呼び始めたのが起源だと言われていて、パタはスペイン・ポルトガル語では足をさすそうですが、名前の由来には諸説あるものの、先住民がはいていた毛皮のブーツのせいで大足に見えたからだという説が広く知られています。
大足パタゴンの住む土地、という意味がパタゴニアだという話でした。
パタゴニアはもともとカリフォルニアでスタートしたブランドで、ロッククライマーだったイヴォン・シュイナードが立ち上げました。
ニューヨーク進出は1995年のことで、当時のソーホーは、ブランド出店するには少々奇妙な場所、アーティストが集う場所という雰囲気だったようです。2015年の、ニューヨーク進出後20周年を機に発刊した冊子で、最初にソーホーに店舗を出した当時のCEOクリス・トンプキンスと、現CEOのローズ・マルカリオが一緒にインタビューを受けているのを目にしました。それによると、ブランド出店ならマディソン街、それが当時のマンハッタンのルールだったそうで、あえてそれに反抗してアーティストの集う場所に出店したのだと答えています。
その決断に際してクリスは、“私たちはパタゴニア製品を買ってほしかったわけではないのよ。ニューヨークの人たちに、私たちのメッセージをまず伝えたかったの。”パタゴニアのメッセージはソーホーからニューヨーカーたちに伝わり、そして全米に広まっていきました。
前CEOのクリスが、過激にも“ホームレスのような身なりの人物”と呼んでいる創業者のシュイナードは、少年時代から狩猟のためにタカやハヤブサを調教する南カリフォルニア鷹狩団体のメンバーだったそうです。ハヤブサの巣まで懸垂下降する方法を教わったことに激しく感動した彼は、14歳の時にロッククライミングに目覚めます。
ヨセミテ自然国定公園でロッククライミングするには、何百ヶものピトンが必要で、しかも当時のピトンは一度打ち込んだらそのまま放置するしかない仕様だったそうです。そこで何とか取り外しできるギアは作れないかと、廃品回収場から60キロの金床、石炭炉、火箸、ハンマーを集めてきて、それで作ったギアをヨセミテのセンテニアル・ロックの北壁で試したんだそうです。このニュースがクライミング仲間に素早く伝わって注文が殺到、一つ1㌦50㌣での販売が始まったこと、それが起業への始まりでした。当時はまだクライミング・ギア企業、シュイナード・イクイップメントという社名でしたが。
南米のパタゴニアの気候はきびしく、寒い上に風が強いことで知られていて、最大瞬間風速が一秒60メートルを超えることもたびたびあるそうです。人は瞬間風速が一秒40メートルを超えると飛ばされていしまうこともあるそうですから、生活していくにはとても厳しい土地だと言えますね。
この絵の馬も、馬上の人物も、風邪を避けながらトボトボ歩いている感じがします。イギリスの探検家、エリック・シプトンはパタゴニアを嵐の大地と呼んだそうですし、リサンドロ・アロンソ監督の映画“約束の地”では、失踪した娘を見つけようと、その父親が探し回る舞台となりました。
シュイナードは1965年、クライマーであり航空技師でもあるトム・フロストとパートナーシップを結びました。二人のデザイン理念は、“星の王子さま”で知られるフランスの飛行家サンテグジュベリのデザイン美学に導かれていたそうです。
“飛行機のみならず、あらゆる人間が創り出したものに置いて、ある原理が存在することを考えたことがあるだろうか?物を作る上での人間の生産活動、計算や予測、図面や青写真を製作するために費やした夜などはすべて、唯一にして究極の原理―シンプリシティを追求したものが出来上がることで完結するということを”
無駄なものを省きぬいてシンプルなコアに近づく、そんな理念がショップ内の陳列にも表現されているような気がします。
1960年代の後半ごろのアメリカ男性たちは、明るくカラフルな色合いの服装を家の外で着ることは全くなかったそうです。スポーツウェアといえばグレーなスェットシャツにパンツが定番。1970年代、シュイナードがスコットランドに冬のクライミングに出かけた折、ラグビーシャツを買ったことが発端になりました。ラグビーでの酷使に耐える頑丈な縫製、しかも襟が重いギアスリングが首に食い込むのを防いでくれたそうです。
アメリカにこのラグビーシャツを持ち帰った彼は、クライミング仲間が皆欲しがるので、イギリス、アルゼンチン、ニュージーランドから取り寄せるものの、瞬く間に売り切れるてしまったそうです。そこでクライミング・ギアでほとんど利益が出ていなかったので、ウエア販売を開始したというわけです。
それが現在の“パタゴニア”のスタートでもありました。
先述の現CEOのローズは、環境運動家だったクリスとは違って、上場企業や投資ファンドの経験もあります。パタゴニアという土地の名前からイメージされるのは、コンドルが飛び交う僻地、地上の果てのような場所ですが、アウトドア志向のカルトファンたちを惹きつけたことが若い層の支持に繋がり、2018年にはとうとう1ビリオンダラー(約1000億円)企業に到達しました。
前CEOのクリスが“イヴォン(シュナイダーのこと)のようなホームレスタイプの冒険家でも買えるレベルの価格でいつもあってほしい”とインタビューに答えていましたが、冒険家の間にも確かに根強い人気はあるものの、プレッピーな若者にも大人気ブランドです。
パタゴニアでは衣類には100%オーガニックなコットンを使っており、利益の10%か売り上げの1%のうち多い方を、つねに環境保護団体に寄付することを自社に課してきたそうです。
シュナイダー・イクイップメントは70年代既に、アメリカのクライミング業界最大のサプライアーとなっていました。シュナイダーとフロストは、自社が製造するピトンが絶え間なく打ち込まれ引き抜かれることで、ヨセミテ自然国定公園やエルドラド・キャニオンの岩壁をひどく破損していることに気づいてしまったのです。すると彼らはは岩壁を守るために、当時売り上げの大部分を占めていたビトンの製造を止めてしまいました。
そんなシュナイダーが、今盛んに世界中の企業がうたっているサスティナブルについて、“サスティナブルなんてありえないさ。私たちにできる一番のことは、与える害を最小限に食いとどめることしかない”と言い切ります。彼が好むのは、流行のサスティナブルではなく、“責任ある”という言葉なんだそうです。企業が自然を搾取する資源としてみないで、唯一無二の命を授けてくれる存在として扱うことから始まるのだと。
パタゴニアを現した絵の前で、ソーホー店のスタッフたち。
創業者のイヴォン・シュナイダーは、ファッション業界のスティーブ・ジョブズとも言われていますが、彼の著書“社員にサーフィンをさせよう”は全米のビジネススクールでも多く扱われています。パタゴニアで働く、ということは環境保護を人生の一部にしたいと希望することであり、魂をアウトドア・スポーツにささげた創業者の人生を少なからずなぞることになるのでしょう。
アウトドアからブランド、そして創業者の人生をかけての自然を守る戦いへと。アップルの方がはるかに企業規模は大きいかもしれませんが、ジョブズに例えられるのがうなづけますね。70年代にスタートしたブランドでありながら、今のアメリカの若者が胸躍らされる熱狂が圧縮されてつまっていますから。
アメリカでは今、密閉をさけるためにアウトドア・スポーツが盛んになってきて、自転車やボートの売り上げが急増しているとそうです。コロナは確かにパンデミックで大変な事態なんですが、人々が家庭に戻って、自然をより近く感じるようになって…人間らしい生活にシフトしてくれたということもあります。
ではまた、ニューヨークでお会いしましょうね。